揖保乃糸について

冬に作られる「工芸品」

一般的に夏の風物詩のイメージが強い手延素麺ですが、実は冬に製造されています。早朝からこねはじめ、合わせ、伸ばし、縒り、熟成を繰り返し、全11工程の手間隙をかけ、丸1日、厳寒期は丸2日かけて仕上げていく丁寧さは、日本人のモノづくりの真骨頂と言えます。かの日清食品創業者の安藤百福氏は、冬に作られるその洗練された麺を見て、「工芸品」と評しています。

揖保乃糸の美味しさの秘密


手延そうめん「揖保乃糸」を電子顕微鏡で観察すると、小麦粉に含まれるたんぱく質のグルテンが縄状に方向性をもち、円形の澱粉粒を包み込むように延びていることが確認できます。このようなグルテンの構造は、手延べそうめん製造工程の特徴であり、【熟成】と【縄状に麺に縒りをかけて延ばす作業】を繰り返すことで得られ、手延そうめん「揖保乃糸」の、茹で伸びしにくく滑らかな舌触りで、コシがある歯切れのよい食感を生み出します。これがおいしさの秘密です。

熟成することでグレードが上がります

熟成中のそうめんは、高温・多湿の梅雨時期に小麦粉内に含まれる酵素が働き、そうめん内の脂質が変化していきます。これがそうめんのデンプンや蛋白質に影響を与え、そうめんのコシや舌ざわりがさらに良くなり、洗練した味わいになります。製造した初年度のものは「新物」、2年目を向かえたものは「古物」、3年目を向かえたものは「大古物」と呼ばれています。

手延そうめん揖保乃糸の歴史


盛夏の涼しさを誘う「冷やしそうめん」、厳冬にぬくもりを覚える「にゅうめん」。
四季折々に食卓を彩る手延べそうめん揖保乃糸は
保存剤などの添加物を使用しない自然の風味を活かした食品です。

揖保乃糸の誕生

播州地方に伝わる古文書をひも解くと、1400年ごろから「素麺」や「サウメン」などの記述が見られます。そして播州地方でそうめん作りが本格的になったのは江戸時代の宝暦・明和年間(1751~1771年)ごろ、また揖保乃糸の産地化は文化年間(1804~1818年)ごろと考えられます。

揖保乃糸のふるさと


播州と但馬の国境から流れ出て瀬戸内海へそそぐ揖保川。水質がよく、流域の人々の生活や産業の振興に多くの恩恵を与えてきました。 増水のたびに上流から運び出された肥沃な土砂は流域に堆積して広大な農地を作り、ここで良質な小麦栽培が始まりました。また高瀬舟などによって、播州で作られたそうめんやしょうゆといった物資の輸送が行われ、流水を原動力とした水車製粉や搾油も盛んでした。揖保川流域で栽培した小麦を水車で粉に挽き、赤穂浪士の町で知られる赤穂の塩田で作った塩を加え、手延そうめんに加工しました。 このように、
1. 播州地方に入手しやすい資源(播州地方の小麦粉と揖保川の水、赤穂の塩)があったこと
2. 製造期の冬に雪が少なく、そうめんの天日乾燥に適している気候条件
3. 勤勉な農家労働力 などに支えられ、現在では日本一の手延そうめん生産地を形成するまでになりました。

揖保乃糸の新しい取り組み